痛快!レジ袋の有料化について考える。『目的』と『手段』について
2020年7月1日より、全国のコンビニやスーパーなどでレジ袋が有料化された。
レジ袋有料化の背景
環境省によると、以前は年間300億枚のレジ袋が消費されていたという。ざっくり計算すると日本国民が一人一日一枚程度使っているようなものになる。多くの場合買ったものを入れて持ち帰って、せいぜい使用後はゴミ袋にする程度で、瞬く間にゴミになってしまう。これを減らすのが『目的』である。
海洋プラスチックごみ問題、地球温暖化など様々な環境問題が存在する中で3Rのうちの『リデュース』(使わないこと)に重点を置き、その取り組みの一つとして行われ始めたのである。
でも実際は…
しかし、私は感じる。
有料化といえど一枚3円や5円、高くても10円程度。
タバコ1箱とか、ジュース1本ならそのまま持ち帰るけど、少し多く買って、持ちきれないと思ったら迷わず購入してしまう…
『これって本当に効果はあるの?』
なんだか、レジ袋からもお金をとることが目的になっているような感じがして、
使いたければ安い値段で買うことができるし、そもそも生産されている時点で、どこでどのような形で流通しようと、最後にたどり着くのは『ごみ』として扱われる運命である。
だって見たことがあるだろうか。1週間前にコンビニでお弁当を買ったときにもらった1枚5円のレジ袋を、1週間たってまたコンビニにものを買いに来た時に、「これにいれてください。」という、まさにGOD of ECOとも呼べるような人間を。
例えばデパートだとか、ちょっといいお店のショッピングバッグとかだったら、「買い物袋」としての役割を終えた後でもちょっとしたことに使うことがあるかもしれないが、コンビニでもらえるようなシャカシャカで中も透けて見えるようなレジ袋って
どんなに汚れても、破れても、捨てればいい。そんな考え方が強く根付いているから、
ほとんどリサイクルされない。つまりゴミとなるのだ。
考えられる対応策
上で述べたように、そもそもレジ袋というものに対しての人の考え方って
そんなに重要視されてないから、ちょっとやそっと、値段を付けただけじゃ
ちょっとは改善されるかもしれないけど、「持続可能な社会」だなんて大それたこと言える大きな対策じゃないような気もしてくる。
本気でごみを減らしたいなら、もっと大胆に動かないと。
1.レジ袋の値段をもっと高くつける
有料化が始まったけど、たかが1枚高くても10円ってところ。
これって人によっては「お会計290円だし、袋付ければちょうど300円だからいいや。」
なんて軽く付けられちゃうくらい小さいものなんですよね。
でもこれが大げさな話、1枚500円とかになってたらどうですか?
290円のお会計がゴミになる袋1枚で790円になっちゃうんです。
1コインで支払えるものが1英世必要になっちゃうんですよ?
それでも袋を買いますか?ってことですよ。
環境を守ることを『目的』として、レジ袋の有料化を『手段』だと、上の人たちが捉えているならこれくらいしてもいいと思うんですけどね。
2.そもそもレジ袋を備えない
さっきも述べましたがレジ袋って、たとえ人が使わなくても生産はされるんですよね。
そしてなんだかんだスーパーやコンビニ、小売店って準備してるんですよ。
それがなくなっても面白くない?と僕は思います。
そうすると、人は必ず買ったものを入れる袋をもって買い物に行かなきゃいけない
=エコバッグが生活における必需品になる=エコバッグ需要が高まる
=エコバッグの生産工場、競争の激化
というようになると思います。これまでレジ袋を作る職に就いていた人がエコバッグを作り始めても、極端な話いいと思うんです。
『目的』と『手段』をもう一度考えて
なににおいてもこの2つって、履き違えるとものすごく危険だと思うんです。
『手段』が『目的』になるのが最悪のケース。それに満足してそれ以上のものが生み出せなくなったり、目標から遠ざかったりします。
例を挙げると部活動。全国大会に出場したいという『目的』があって、じゃあそのために朝練をしよう、となったとします。そうすると朝練は全国大会に出場するという『目的』を達成するための『手段』となります。
これが朝練をすることが『目的』になってしまったとしましょう。朝練をする生徒たちは、「朝練をしているんだ。」という満足感は得られるかもしれませんが、それに満足してしまい朝練の内容、質を追究しなくなります。
これって本来の『目的』である全国大会への出場へ近づいてるといえるでしょうか。
残るものは疲労感だけではないでしょうか…
『目的』は途中で変えてはいけません。
『手段』は『目的』のためならどんなに手を加えてもいいのです。
本当に環境を守りたいのなら、今の政策で十分なのか
もう一度日本は考える必要がありそうです。